(via westminster-abbey)ANZAC Day(アンザック・デー)はオーストラリアのパブリック・ホリデー(祝日)の1つです。
ANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.の略で、毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に活躍してくれた人々への追悼を行います。
また、アンザック・デーは第二次世界大戦後、ガリポリの戦いに参加した兵士だけでなく、これまでの戦争に参加した全てのオーストラリア兵のための記念日に変わっていきました。
この日はオーストラリア各地で退役軍人のパレードをはじめとした式典などが行われ、テレビ中継もされる程の一大行事です。
(via navy.gov.au)マーティン・プレイスの戦没者記念碑前にて、朝4時15分〜5時まで、 Dawn Service が行われ、なぜそんなに早い時間なのかと言うと、当時のガリポリ上陸時間に合わせているのだそうです。
その後、8時30分から花輪の献花、9時30分からは大規模なパレードが始まり4時間近く行なわれます。
パレードのコースは、マーティン・プレイスを出発して、ジョージ・ストリートとバサースト・ストリートを通ってハイド・パークまでになり、退役軍人と従軍看護婦たちが主役となって行進をします。
(via aucklandmuseum)
パーレードの終点のハイド・パークには「Anzac War Memorial」いう、シドニーを代表する戦争記念館があります。これは1916年にガリポリ上陸1周忌を記念して建設を開始し、1934年に完成し、記念館の中では戦争に関する資料を見ることができます。建物はシドニーを代表するアール・デコ建築で、東西それぞれの側面には戦地での様子が10mに渡りブロンズのリリーフとして刻まれています。
シティーの色々な所でもセレモニーが行われ、後のセレモニーは、夕方の17時にマーティン・プレイスの戦没者記念碑前にてサンセット・サービスというセレモニーが行なわれ、1日が終わります。
メルボルンでは?
(via anzaccentenary.vic.gov.au)
メルボルン・タウンホールを出発してセントキルダ通りをまっすぐに南下し、ビクトリア・バラックスの前からキングス・ドメイン公園の中へ入って戦争記念館(Shrine of Remembrance)までになります。
セントキルダ通りは、ビクトリア・バラックスの前で右へ曲がっているため、戦争記念館はメルボルンの中心地からスワンストン通りを経てハッキリと見る事が出来ます。
敵は日本?
(via dynamicbusiness)
オーストラリアにとって、唯一の本土爆撃を受け多数の戦死者を出したのが第二次世界大戦。
で、その敵国は日本!
ちまたでは、「外に出たら卵を投げつけられる」「パレードを見に行ったら唾を吐きかけられる」という事で、「その日は外に出ない方が良い」と言う話も有りますが、そんなのは相当昔の話で、現在では都市伝説的な感じでそんな目にあったと言う様な話は聞きません。
ただ、日本がオーストラリアを攻撃したのは事実ですし、それにより反日心をいまだに持っている人も少なからずいます。
また、TVでは日本軍が攻めて来た時の事を舞台にした映画やドラマなのも放映されているので、ちょっと ”居心地が悪い?” と感じる事も有るかもしれません。
では、なんで日本人が狙われるのか?というと、上記でも話した通り、第二次世界大戦中にオーストラリアを攻撃した唯一の国が日本だった為、戦争で受けた悲しみをぶつける先が日本人になってしまったと考えられます。
でも、実際オーストラリア人は Take it easy や Mate の精神にも例えられる様に、みんな正直で前向きで寛大な心を持っている人が多いので、戦時中捕虜になった人の中には「地獄の様に大変だったけど、戦後は日本人の友達出来た。それは事実であり、私の人生に置いて貴重な経験だった。」というように話している人もいるそうです。
詳しくは【アンザック・デーの憂鬱とマイト・シップ】というシドニー在住の日本人のジャーナリストさんが書いたコラムに書いてあるので、2012年に更新されたものですが、とても興味深い記事になっているので、興味の有る方は是非チェックしてみて下さい。